山岳•アウトドア関連の出版社勤務を経て、フリーランスの編集者に。著書に『テントで山に登ってみよう』『ヤマケイ入門&ガイド テント山行』(ともに山と溪谷社)がある。
記事一覧今回のシーズンレポートは、2023年の4月~9月の半年間を取り上げます。春山から夏 山へと移り変わっていくこの季節は、登山シーズン真っ盛り。これから山を始めてみたいという人や、冬山はやらないけれどこの季節なら!という人たちも、たくさん山に入ります。つまり、それだけ多くの人たちが入山することになり、残念ながら、通報案件も多くなるタイミングでもあります。
「登山シーズン真っ盛り」とは書きましたが、とくに気をつけるべきは4月、5月の山でしょう。この季節は標高の高い山は、まだ残雪期となっています。平地では暑くなる日も増えてきますが、山の上はまだまだ真冬……そんな日も多く、けっして油断のならない季節です。
また、昨今の地球規模の環境の変化もあって、5月や6月であっても酷暑となってしまうようなおかしな天候も続きます。じつは通報案件にもちらほらと、その環境の変化が影響 されているのでは、と思えるような事例がいくつも現れるようになりました。
詳細については先の項で取り上げたいと思いますが、まずはいつものようにデータからこの半年を振り返ってみましょう。6ヶ月間の期間中に、ココヘリへの通報があった件数 は全部で90件でした。遭難事案の「発生域」はどこであったか、「通報者」がだれであったか、「通報の種類」は何であったかなど、今回もいままでのシーズンレポートと同じ指標で、各表やグラフをつくっています。
ここに掲載した表、グラフは全部で6つ。内容は以下の通りです。
①発生域と日付(事案の発生した山域と日付を地図上に表示)
②通報者(ココヘリへ最初に通報した人が、遭難者とどんな関係にあるのかを示したも の)
③通報時の種類(通報に至るおもな理由)
④パーティの人数(対象事案の入山時の人数)
⑤事故の発生原因(事故となってしまった原因)
⑥安否(事故の結果としての安否状況)
まずは①の「発生域と日付」の地図を見てみましょう。今回は4月から9月の半年間を 取り上げていることもあり、90件もの数に上っています。これを3ヶ月ごとの指標に分けてみたのが下のグラフですが、4月から6月が24件で、7月から9月は66件となっています。これは過去のデータと比べてみてもかなりの数が増えたことになりますが、じつは、ココヘリ側の事情も重なっています。ちょうど、jRO(日本山岳救助機構)とココヘリが事業を協働するタイミングだったこともあり、会員数の増加が影響しているものと思われます。
とはいえ、やはり7月から9月の通報件数は他の季節に比べても多い傾向があり、その点は変わっていません。遭難が起こったエリアでみれば、4月から6月までの残雪期は富士山や北アルプス、白山、北関東の山々などまだ雪の多く残っている場所での事例が確認できます。7月以降の夏場になれば、やはり南北アルプスを中心とした高い山々での事故が多くなっている傾向が見て取れます。
②の通報者のグラフを見てみましょう。こちらは、やはり「家族」からの一次連絡が第一位。およそ57%となっています。次の③にある「通報時の種類」と連動しますが、「電話連絡ができない」「LINEが既読にならない」「位置確認アプリのポイントが移動して いない」など、「連絡不通」が家族からの通報が多い理由として挙げられます。
もはや毎回のことですが、登山者本人と家族との連絡が徹底されていないのか、または「山では電波が通じないことが多い」ことを家族にしっかりと伝えていないのか、もしくは家族の側が認識できていないのか……。もちろん、連絡が不通になってしまっては、 待っている側の不安が募っていくのは当然のこと。通報することが間違いであるとは言えません。
ただ、通報の中には、たとえば「下山時刻が16時の予定なのに、まだ連絡がない」と、17時なって通報しているような状況も垣間見られます。この1時間は、登山での行動を理解できていれば、通常にあり得る遅れであって遭難ではない可能性は高いと思われます。 これが、半日や1日経っても連絡がつかないとなれば、問題は小さくはないでしょう。家族と登山者本人との感覚の擦り合わせは、微妙なことなれど、とても大切なことなのだと思います。
③のグラフにある「行動不能」というのは、登山者本人や同行者からの連絡の場合が多く、その原因は滑落、転倒、ケガによるものがほとんどです。⑤のグラフにもあるように、「滑落」が8%、「ケガ」が11%を占めています。その次にある「行動不能」は14%もありますが、これが意味するところは何なのでしょうか。滑落でもケガでも結果として 「行動不能」に陥ってしまうのですが、通報時にはまだ原因がハッキリとしていなかった場合もここに含まれています。が、じつはもうひとつの理由がありました。それは、「脱 水による行動不能」です。
冒頭に「環境の変化が影響されている案件」があると書きましたが、この脱水がまさにそれにあたります。
地球の高温化は年々、その進度を増しているのではないかと思えるような日々が続いています。ヨーロッパやヒマラヤでも氷河の融解が進み、岩が崩れ、クレバスが大きな口を空けていると聞きます。夏場の気温はグングンと上昇し、ここ日本でも5月、6月で30度を超え、7月、8月は40度にも迫るような気温上昇が見られています。高気圧の張り出し、気流の変化、フェーン現象の多出などときには人命を危ぶむほどの状況が生じています。もちろん、これは山の上でも同じこと。
以前は、山で「水がなくなってしまった」ので動けない。という報道があれば、それは登山者本人の責任であって、いったい何を考えているんだ! という声も多く上がったこ とでしょう。必要な量の水の確保、ルート上の水場の確認などは登山技術のひとつでもあり、それも含めての登山であるはずだ、と。
たしかにその通りではあるのですが、じつはここ数年で「水がなくなった」「脱水で動けない」といった案件が増えつつあります。その結果の「行動不能」であり、もはや本人のレベルだけの問題ではなくなっている状況です。
今回の90件のうち、脱水等が関連した通報は5件ありました。じつに5.5%の割合となります。これが多いのかといえば、数字としてはけっして大きくはありませんが、かつては水の不足による通報はほとんどなかったことを考えると、やはり気候変動の影響は大きいものと思われます。この「脱水」案件は、7月に3件、8月と9月に一件ずつ発生しています。
少し具体的に見てみましょう。7月17日に飯豊山地の大高地山で起こった事例です。通報者は本人。2人パーティで、長時間の藪漕ぎのあと疲労と道迷いで尾根上でのビバークに。その際、手持ちの水は2人でペットボトルに1リットルのみ。幸い場所は特定できており、県警とココヘリへの通報ができている状態でした。後日、このときの天候を調べてみると山形市での最高気温は35.1度が予測されていたようです。山上とはいえ、日光を遮ることのない藪の尾根上では、かなりの暑さだったと思われます。県警とも連携をしてヘリでの救助を実施することになりましたが、ココヘリ側でも救助活動が遅れる可能性も考え、必要な水(ペットボトル)をヘリから落とすことも話し合われていたほどです。結果的には、県警ヘリによっての救助がなりましたが、水のない稜線上でのビバークでもあり、救助にもっと時間がかかっていたとすれば、あぶない案件だったかもしれません。
飯豊の一件のあった3日後にも、北アルプスの唐松岳で似たような事例がありました。通報があったのは夜の7時を過ぎてから。唐松岳から天狗山荘に向かう途中で道に迷い、行動不能というもので、家族からの連絡でした。このエリアは不帰キレットでもあり、夜の行動は避けるべき。当然、ビバークを勧めることになるものの、「食料はあるが水が一滴もない」という状態とのこと。このときも地元警察との連携で場所の把握はできていましたが、時間が時間だけにこの日のうちにヘリでの収容はむずかしいと判断されています。幸いなことに本人とのショートメールでの連絡が取れることが分かり、ココヘリから「草についた夜露や朝露を口に含んで乾きを防ぐ」ようにと伝えることができました。明朝6時には県警のフライトが行なわれ、無事救助。そのまま病院へ向かったとのことでした。
もう一件、7月25日に黒姫山でも脱水案件がありました。このときは本人から「脱水のため動けなくなりました」とココヘリへ連絡が入っています。警察とも連携済みとのことでしたが、電話口で以下のことを伝えています。
・その場所(登山道脇の木陰)を動かず、体力を温存
・登山者が通ったら必ず水をもらうようにお願いをする
・警察が動き出しているので、けっしてその場所を動かないこと
その後、本人との再連絡の際には「登山者から水をもらうことができ、少し元気が出た」とのことでした。このときは地上隊による救助によって無事に保護されました。
このように、「水がなくなってしまった」「脱水で動けない」という案件は少なからず起こってしまうようになりました。つまり、いままでの山の常識では考えられなかったことが起きています。山での気温や湿度の上昇はもちろんですが、本来あるはずの水場での水の枯渇も考えられるでしょう。となれば、自己防衛しかありません。いままでは1リットルで十分だったはずの水も、2リットルは持たなくてはならないのかもしれないし、長い行程を考え直す必要もあるのかもしれません。山小屋の水は高いかもしれませんが、水を得られる場所ではこまめに水の補給をする必要もあるでしょう。体内の塩分バランスなども考えながらの行動が必要になっています。ときには沢の水も飲まねばならない可能性もあります。そのときのために、携帯用の浄水器を準備しておくことも考えてみてください。
捜索の際にいちばん重要となるのが「初動でいかに動けるか」というポイントです。ただ、ここには捜索対象者の「登山届が出ているか否か」が大きく関わってきます。ココヘリでは家族との事前連絡を重要視しており、折あるごとに「登山届の共有」をお願いしています。でも、まだまだ登山届が出されていないケースが数多く見受けられます。
この登山届の有無に関連して、ココヘリに通報が入ったとき、捜索チームはどう動いているのかを紹介したいと思います。下の図をご覧ください。
これは、ココヘリへの第一報があってから、捜索チームがどのように連携し、どのようにして実際の捜索へと動き出すのかを示した略図です。これは一般例であって、状況によっては警察や消防からの連絡が先に入ったり、捜索活動の途中で通報がまちがいであったことがわかり、キャンセルに至るケースも多々あります。ただ、全体の流れとしては上記のようになっています。
ココヘリへの第一報は専門のコールセンターにつながります。ここでオペレーターは状況の把握をして、捜索チームとの連携を図ります。捜索チームには、捜索をオペレーションするチームと実際に捜索に出動するチームなど、細かな担当が分かれています。
会員ナンバーが確認できたら、登山届の有無をチェックします。ここで登山届が出ていれば、そこに記載された情報をもとに捜索エリアの絞り込みができます。しかし、登山届が出ていない場合は、まわりの状況から予測をしながら捜索エリアの絞り込みをしないといけません。警察との連携を図り、登山口に駐車車両があるか、駅またはバスでの利用の有無なども調べなくてはなりません。ここでかなりの時間のロスが生じます。
遭難が確認された段階、というよりはほぼ同時進行で進んでいますが、IDデータの追跡、ヘリ、ドローン、地上部隊への連携がなされます。この段階でも、警察や消防、地元の関係者なども動いていますので、さまざまな情報が入ってきます。天気の状況を見て、ヘリが飛べるのであれば捜索開始。ヘリが飛べるような状況でなくとも、ドリーン隊と地上部隊は捜索を続けます。
そして、発信機からの信号をキャッチできれば、位置情報の把握ができたことになり、この情報を警察をはじめとした関係各者と連携をすることで、救助、保護、そして搬送へとつながっていきます。この間、捜索のオペレーションチームは、通報者または連絡がつくならば捜索対象者とも状況の確認と共有をつねに行なっています。
これが、ココヘリへの通報後の一般的な流れとなります。ココヘリでヘリが飛ぶまでは、ここまでの緻密な連携があって初めて可能となるのですが、過去にはSNS上での悲しい炎上事件もありました。これはココヘリの会員ではあったものの、登山届が出ておらず、さらに発信機を所持していなかった案件でした。やはり、初動捜索での時間がかなり掛かってしまい、かつ天候の不順からヘリが飛べない状況でした。幸いなことに、地元県警の地上部隊により無事に発見となりましたが、このときには「ココヘリ飛ばない詐欺」とまで言われてしまう事態に。結果的には、初動で何が起こっていたのかを公開したことで事態は収まりましたが、初動捜索がいかに大切かを今一度、考えさせられるきっかけともなりました。
ココヘリが「登山届を出して」と繰り返し伝えているのは、このような背景があります。登山届はもしものときの命綱です。けっして、甘くは見ないで欲しい。捜索チームはつねにそう思っています。
いままでにはあまり見られなかった通報案件で、釣りに関係するものが少し目立ってきました。とはいえ、90件中のほんの3件ではありますが、釣行中の遭難事故が起こっています。山中での釣りということで、いわゆる渓流釣りとなるわけですが、もちろん沢を伝って釣り登っていくスタイルです。これが沢登りの場合はたいていが複数人で入渓しますが、釣行の場合はまた少しちがっていて、釣果にも関係するため単独であることが多いようです。ここが落とし穴ともなっていて、単独での事故はリカバリーがむずかしくなるのはご想像のとおりです。
今回、通報のあった案件では1件は道迷いからのケガ、ほかの2件は肩の脱臼と転倒による足腰のケガでした。どの案件でも救助・保護に至っていますが、捜索する側からすれば、沢筋での捜索は少しむずかしさが増してきます。なぜかといえば、沢筋には道がありません。一般的な登山の場合は、登山道を中心とした捜索が可能となりますが、釣りの場合は、どの沢筋を登って行ったかがとてもわかりにくくなります。その日の釣行の具合にもよりますし、釣れそうだと思う沢に入っていくのも釣り師の心情だと思われます。
そういった意味で、釣行の場合は「計画が途中で変更」されることもめずらしくはありません。変更された計画がだれかに共有されていればまだいいのですが、釣行中はそれどころではない、のではないでしょうか。そんなときに岩から落ちてしまったり、沢水に足を滑らせたりすれば事故につながってしまいます。ひとりでは身動きもままならなくなってしまうでしょう。
とはいえ、ココヘリは信号を受信することで位置情報を得られるシステムでもあります。釣りの醍醐味とは相反するかもしれませんが、渓流釣りでもしっかりと登山計画を立ててその計画どおりの山行をしていれば、もしものときの対応は可能です。また、できるならば、単独ではなく複数人での行動をお願いしたいものです。
登山のリスクを減らすには、やはり学びが大切です。ココヘリでは「山での遭難を起こさないために、万が一遭難 してしまっても……生きて下山するために」、ひとりでも多くの人たちが、正しい登山の知識を学べる場として「ココヘリ安全登山学校」を設立しています。設立のきっかけは、2017年の3月に那須岳で高校生たちが巻き込まれてしまった事故。その検証のなかで日本山岳ガイド協会の理事であり、その立場にあった国際山岳ガイドの近藤謙司さんは「高校生たちが山の正しい知識を学べる場が少ない」ことに危機感を抱き、対策の一環として、ココヘリといっしょにWEB上での「高校生のための安全登山講習会」を実施しました。
この講習会が始まったのは2020年の春のこと。以来、21年までの2年間で11回まで回数を重ね、山登りの基本から雪山登山、レスキューの技術や山の天気といったテーマにまで幅を広げ、安全登山に対する基本的な考え方をていねいに紹介しています。そのWEB講習会をベースとして編集されたのが、『ココヘリ安全登山学校の教科書』です。
ココヘリ安全登山学校は、WEB上や机上での事前講習会を実施し、また実際に山で登山学校を開催することで、受講者たちが「繰り返し体験して身につける 」ことができるようにとカリキュラムを組んでいますが、『ココヘリ安全登山学校の教科書』はそのための教則本であり、まさしく教科書です。現在、『基礎編』『レスキュー編』『雪山編』の3冊がWEB版と冊子版で、『山での感染症対策編』がWEB版にて公開されています。
また、この秋口の刊行に向けて『気象編』の編集も進めています。今回の監修は、国際山岳ガイドの近藤謙司さん、今井 晋さん、天野和明さんの3名に加え、天気といえばこの人、山の天気予報士・猪熊隆之さんも仲間入りしてくれました。新刊の発行を楽しみにして待っていてください。
そのほか、山に関する講習会も数多く開催されていますので、ぜひとも積極的に登山学校に参加してください。ひとつひとつの積み重ねが安全登山への近道です。雪山登山であれば、なおさらじっくりと学びたいもの。しっかりと学んで、この季節も安全、安心の山登りを楽しんでください。